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建築における「行けない場所」──バルセロナ・パヴィリオン考察

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chapter 01

バルセロナ・パヴィリオンの経緯

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1-1

1927年「ガラスの部屋」

1-1 バルセロナ・パヴィリオン平面図

1-1 バルセロナ・パヴィリオン平面図

バルセロナ・パヴィリオン(1929)にある三つの「行けない場所」とは、冒頭で述べたように、基壇上の外部に位置する大きな池(図1-1, A)、ゲオルグ・コルベの彫像が立つ小さな池(図1-1, B)、そして、基壇中央付近に位置する光の箱のような場所(図1-1, C)である。本稿は、これらの「行けない場所」を読み解いていくことで、バルセロナ・パヴィリオンで起こっていることを捉えようとする試みである。そのためにはまず、バルセロナ・パヴィリオンに先立つプロジェクト、「ガラスの部屋」について触れる必要があるだろう。なぜなら「ガラスの部屋」は、バルセロナ・パヴィリオンを特徴づける要素が初めて具現化された機会であり、そしてそこにも、「行けない場所」の存在が認められるからである。

1927年、ドイツのシュトゥットガルト市で開催されたドイツ工作連盟展(「住居」展)というと、ミース・ファン・デル・ローエが副総裁として主導的な立場で敷地計画や建築家選定に関与したヴァイセンホーフ・ジードルンクが有名であるが、市の中心部では同展の別の企画として産業工芸展示会が開かれていた。「ガラスの部屋」はその展示空間のひとつである。ミースは、当時公私にわたるパートナーであったリリー・ライヒと共にこの仕事にあたった[*1]

1-2 産業工芸展示会 平面図

1-2 産業工芸展示会 平面図
出典=Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985.
1-3 「ガラスの部屋」

1-3 「ガラスの部屋」
出典=Philip Johnson, Mies van der Rohe, The Museum of Modern Art, New York, 3rd edition, 1978.
1-4 「ガラスの部屋」

1-4 「ガラスの部屋」
出典=Josep Quetglas, Fear of Glass: Mies van der Rohe’s Pavilion in Barcelona, Birkhäuser, Basel, 2001.
1-5 「ガラスの部屋」

1-5 「ガラスの部屋」
出典=Josep Quetglas, Fear of Glass: Mies van der Rohe’s Pavilion in Barcelona, Birkhäuser, Basel, 2001.
1-6 「ガラスの部屋」

1-6 「ガラスの部屋」
出典=Josep Quetglas, Fear of Glass: Mies van der Rohe’s Pavilion in Barcelona, Birkhäuser, Basel, 2001.

既存の建物の一室(図1-2)を使った「ガラスの部屋」の展示は、ドイツ・ガラス工業会の委託によるものだったので、二人は実験的に多くのガラスを使うことができた。写真を見ると床から天井までの一枚ガラスの連なりが、スクリーンとなって、一室のなかをいくつかの領域に大まかに仕切っていることがわかる(図1-3〜6)。他に間仕切となる壁やドアは見当たらない。それぞれの場所は配置されている家具から、そこが居間であること、食堂であること、書斎であることなどを推定できる。つまり「ガラスの部屋」はひとつの住居として考えられているのだ(図1-7)。ドアのない家である。
 黒、白、赤の三色であったと言われているリノリウムの床面の色の違いが、領域の区分を後押ししているが、それらはガラス・スクリーンの位置と必ずしも一致しているわけではない。白黒写真からはどの部分にどの色が用いられたのか把握することは難しいが、ガラスの種類も透明ガラスの他に、マウス・グレーやオリーブ・グリーンの色ガラス、乳白色の磨りガラスというように、透明度や反射度の異なるガラスが使用されている。さらに、これらのガラスを固定しているニッケルめっきの四方枠には、横長と縦長の二つのパターンがある。たて枠の間隔を広くして一枚のガラス面を正方形に近い横長の長方形に見せるパターンと、逆にたて枠間隔を狭くして一枚のガラス面を縦長の長方形に見せるパターンだ。ミースの住宅作品を綿密に調査・分析し『ミース・ファン・デル・ローエ:ヴィラ・アンド・カントリーハウス』を著したヴォルフ・テゲトフは、たて枠間隔を大きくとってガラスを横長に見せているところは、それが面する場所に「平穏」な印象を与え、逆に狭いたて枠間隔のところは、縦長のガラスの連続がその場所に「性急」な印象を与えていると述べている[*2]。前者にあてはまるのは、居間を囲むようにゆったりと配置されている透明あるいは乳白色のガラス・スクリーンである(図1-4)。一方、居間に置かれた白い革張りのソファの背後には、オリーブ・グリーンらしき不透明に近い濃色のガラスが狭い枠の間隔で並んでおり、後者に該当するものと捉えることができる(図1-3)。この濃色ガラス・スクリーンの向こう側は、壁一面の本棚と書き物机が置かれた書斎であるので、縦長ガラスの与える「性急」な印象は執務空間としての緊張感に呼応しているといえるであろう(図1-6)。
 以上のような「ガラスの部屋」の特徴、つまり床から天井までの一枚ガラスのスクリーン、透明度や色の異なるガラスの使用、緩急のある枠形状のパターンは、バルセロナ・パヴィリオンにおいてもそのまま当てはまる特徴であり、「ガラスの部屋」の経験がバルセロナ・パヴィリオンに引き継がれていることがわかる具体的事項である。

1-7 「ガラスの部屋」平面図

1-7 「ガラスの部屋」平面図
出典=Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985.

ところで、ミースの住宅プロジェクトのなかで、床から天井までの一枚ガラスが最初に現れたのは、煉瓦造田園住宅案(1923, 図1-8,1-9)である。透視図には、枠に納まる縦長のガラス面の連なりが描かれている。八束はじめは、この「フルハイトのガラス面」が、コンクリート造田園住宅案(1923,図1-10)の「躯体に開けられた横長窓」とは違い、従来の窓の概念を解体しているという意味で「革新的な発想の転換」であると指摘している[*3]。窓には、ボリュームに穿たれた穴という原初的イメージがあるが、煉瓦造田園住宅案の開口部には、そもそも穴を開ける基底面としての壁がない。それはもう窓とは呼べない。ガラスが窓に属することを辞めて独り立ちしたのか、あるいは全く異なる出どころから生じたものかもしれないが、とにかくここでは縦長のガラス面の連なるガラス・スクリーンとなって、煉瓦の外壁に高さを同じくして並んでいるのである。
 だが言うまでもなく煉瓦造田園住宅案で特筆すべきは、天井までの一枚ガラスだけではない。平面図に目を転ずれば、まずそこで注意を引くものは、縦横に伸びる太い線、つまり煉瓦でできた分厚い壁である。フィリップ・ジョンソンが「設計の単位がもはや立方体の部屋ではなく、自立した壁である[*4]」と指摘するとおり、これら煉瓦造の自立壁は、各々独立した一枚の壁であることを主張するようにバラバラに存在している。それが他の自立壁と近づいたり離れたり、ときに直角に接して配置されることで、ひと続きでありながら部分ごとに違った場が生成されるというような空間が生じるのだ。またこの自立壁は、内部と外部を分ける外壁にもなり、内部の間仕切にもなり、さらに外にまで延長して外部空間をも同じように分け隔てなく分節している。一方のガラス・スクリーンは、平面図上薄い二重線で表現されている(内側の線。外側の線は屋根を示す線)。その線を辿っていくと、開口部なので当然のことではあるが、全て外縁上に位置していることがわかる。言い換えれば、煉瓦造の壁と壁の間にガラス・スクリーンが挿入されると、そこが外部と内部の境界になり、それによって内部空間が生じ住宅としての機能が成立するということだ。
 分厚い煉瓦の壁は、煉瓦造田園住宅案の空間概念を示す中心要素として、あるいはジョンソンの言う設計単位としてまさに自立した存在である。しかも煉瓦造であるということは耐力壁として考えられるので、構造的にも主要な要素だ。それに対してガラス・スクリーンは、実際の手順はどうであれ、あらかじめ煉瓦の壁と壁があるところを後で塞いだように配置されている。つまり空間概念上は、煉瓦造の自立壁に対して従属的な存在なのである。

ところが「ガラスの部屋」に至るとガラス・スクリーンの役割は大きく変化する。平面図では、煉瓦の分厚い壁は姿を消し、ガラスを表す一本線が枠を表す節目と共に部屋全体の配置計画を定めている。ここではガラス・スクリーンが内部空間に入り込み、室内を仕切る要素となっているのだ。それはすなわち、ガラス・スクリーンが、煉瓦造田園住宅案の煉瓦の自立壁に取って替わる立場になったことを示しており、空間概念上の中心要素となり得ることを自ら実証したということである。この変化はバルセロナ・パヴィリオンに遺憾なく応用されている。バルセロナ・パヴィリオンの正面には、透明ガラスのスクリーン(図1-1, 12)が、アルプス産緑大理石(図1-1, 9)の壁の左隣に並ぶ姿が認められる。もはやガラス・スクリーンは、壁と壁に挟まれて存在するのではなく、自立壁として、外観だけではなく空間概念においても隣の大理石の壁と肩を並べているのだ。小さな池の前にある暗緑色ガラス・スクリーン(図1-1, 8)に至っては、これだけで独立して配置されているのである。ミースは「ガラスの部屋」のガラス・スクリーンにおいて、さらなる「革新的な発想の転換」を果したといえるのではないだろうか。そしてもうひとつ、「ガラスの部屋」が明らかにしたことがある。それは、自立壁であることとそれが耐力壁であることの間に、空間計画上、必然的な関係はないということである。自立壁は必ずしも耐力壁である必要はないのである。

1-8 煉瓦造田園住宅案 透視図

1-8 煉瓦造田園住宅案 透視図
出典=Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985.
1-9 煉瓦造田園住宅案 平面図

1-9 煉瓦造田園住宅案 平面図
出典=Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985.
1-10 コンクリート造田園住宅案

1-10 コンクリート造田園住宅案
出典=Philip Johnson, Mies van der Rohe, The Museum of Modern Art, New York, 3rd edition, 1978.

ここで「ガラスの部屋」の内部空間に戻る前に、煉瓦造田園住宅案の平面図(図1-9)について、二点触れておきたいことがある。一点目はガラスの二重線のことである。先ほど、それを辿っていくと全て外縁上に位置していると言ったが、実は、平面図左上に一箇所だけ、屋根を示す線と共に二重線が消失している部分がある。一旦これに気づいてしまうと、それまで読み取っていた空間はその拠り所を失って薄れてゆき、代わりに全く異なる空間が立ち現れてくる。ここにガラスがないとすれば、この中庭は外部なのか内部なのか? それは一体どこまで拡がっているのだろうか? テゲトフは図面が未完成である可能性を指摘し[*5]、『ミース・ファン・デル・ローエ・アーカイブ』を編んだアーサー・ドレクスラーは何かの誤りであるとしている[*6]。しかしそれらの弁明を受け入れてあっさり通り過ぎてしまうことよりも、ミースが意図してガラスを入れなかったとしたら一体どのような空間を想定していたのだろうと想像することの方が、はるかに空間の可能性が拡がる。
 二点目は、アルフレッド・バーが直接的な関連性を指摘したテオ・ファン・ドースブルフの「ロシアダンスのリズム」(1918、図1-11)との比較によって明らかになる特徴である。煉瓦造田園住宅案の平面図の方には、どうしてもそこに住宅のスケールを読み取ってしまう手掛かりがある。それは暖炉と階段である。特に暖炉は、機能的なことだけでなく心的にも家の中心的な存在である。細長い四角形をした暖炉の黒い塊は平面図の真ん中に近い位置と右側のサービス棟の二箇所に配置されている。それらは図面の中でも重しのような存在として画面を引き締めている。このプロポーションや平面計画上の位置関係(特に真ん中寄りにある暖炉)は、バルセロナ・パヴィリオンの平面図における光箱に近似しているので、じっと眺めていると暖炉がまるで光箱であるかのような錯覚を起こしそうになる。実際、暖炉はサンタクロースの通り道ではあるが、日常的にはここも「行けない場所」である。しかし、この図面の暖炉は全て黒く塗りつぶされていて、中までぎっしりと煉瓦で充填されているかのようなので、この点は光箱とは真逆の、光を通さない「行けない場所」である。黒い塊であるのは煉瓦の壁に同化しようとしているからであるが、そのプロポーションは観る者に暖炉と認識させるに十分であろう。この暖炉を通してわれわれは、自ずとこの図面の中に人のスケールを見定め、住宅としての空間を頭の中で想像するのではないだろうか。

1-11 テオ・ファン・ドースブルフ<br />「ロシアダンスのリズム」

1-11 テオ・ファン・ドースブルフ
「ロシアダンスのリズム」

出典=Wikimedia Commons
1-12 「ガラスの部屋」

1-12 「ガラスの部屋」
出典=Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985.

さて、「ガラスの部屋」における「行けない場所」についてである。その一つは鉢植え植物がまばらに置かれた細長い場所(図1-3, 1-4)、もう一つはヴィルヘルム・レームブルックの彫像が置かれた場所(図1-12)である。どちらもガラス・スクリーンによって閉じられており人が入ることはできない。それらは人のための場所というよりも、植物の場所であり、彫像の場所であるのだ。
 鉢植え植物のある「行けない場所」は、玄関ホールから居間の領域にむかう歩みにそって左側に細長く伸びている。ここの床にはリノリウムが敷かれていない。また「ガラスの部屋」の天井は、縫い合わせた布を張りその上に落ちる照明の光を拡散させていたので、天井全体は光天井のように均質な明るさを放っていたというのだが、この植物の場所には布の天井が張られていない。そのことは、布天井を超える高さの鉢植え植物が置かれていることによっても示されている。布天井がないということは照明の光が直接落ちてくるので、ここが最も明るい場所であったと想像できる。以上のことから、植物の場所は上方向への拡がりを意図していることが伺える。外部に見立てた場所と捉える方が自然なのかもしれない。
 はじめは植木鉢の植物があるという共通項が手伝って、この場所から後のトゥーゲントハット邸の温室を連想するのであるが、背後の壁が迫っていることや、外部に見立てていること、上方向を開放する空間のつくり方、そしてどちらも「行けない場所」であることを考えると、むしろバルセロナ・パヴィリオンの小さな池の方が近い関係にあるように思えてくる。
 しかし小さな池と異なるところは、拡がりへの意識が水平方向にも見受けられる点である。居間から見ると、鉢植え植物の場所を封じ込めているガラス・スクリーンは、左の三枚が「平穏」な間隔で並ぶ透明ガラス、右の三枚が「性急」な間隔で並んでいる濃色ガラスである。ソファに腰をおろしている者は、濃色ガラスに遮られて植物の場所の右端の側面を見届けることができない。そのため、この場所がどこまでも続いているように想像することができるのである。その結果、植物の場所の大きさを、書斎の領域までに及ぶ広さがあるかのように錯覚して記憶してしまうことも考えられる。そのように“誤読”した空間のイメージは、書斎の領域で得る実際の空間イメージとの間に齟齬を生む。それらは互いを打ち消し合いながらも記憶に残り続け、この空間体験に重層的な拡がりをもたらすのではないだろうか。植物の「行けない場所」は、実の大きさを超えるような拡がりにも可能性を開いているのである。

1-13 ヴィルヘルム・レームブルック<br />「トルソ 振り向く少女」

1-13 ヴィルヘルム・レームブルック
「トルソ 振り向く少女」

原題:Torso Mädchen sich umwendend
出典=Ursel Berger and Thomas Pavel (eds.), Barcelona Pavilion: Mies van der Rohe & Kolbe: Architecture and Sculpture, Jovis, Berlin, 2007.

ミースの友人であったというレームブルックの彫像のある「行けない場所」は、玄関ホールを入った右側に位置している。彫像の場所と玄関ホールとを隔てるガラス・スクリーンは、おそらくマウス・グレーである(図1-12)。それは「性急」な間隔で三枚並んでいる。一方、図1-5にあるように食堂から見た彫像の場所側のガラス・スクリーンは、左端の一枚が透明ガラスで、残り三枚は乳白色の磨りガラスであると思われる。左の透明ガラスは「ガラスの部屋」の中で唯一例外的な縦横比を持っており、「平穏」と「性急」の中間くらいの大きさである。右三枚の乳白色ガラスは「性急」な間隔で並んでいる。写真からは判別し難いが、彫像の場所も、床にリノリウムは敷かれておらず天井にも布が張られていない可能性がある。この場所も植物の場所と同様に外部に見立てているのかもしれない。
 左側に透明ガラス、右側に非透明ガラスを並べる構成の仕方もまた、植物の「行けない場所」と全く同様である。その結果、食堂から彫像の場所の右端側面を見届けることができなくなることを考えれば、植物の場所と同じ空間の仕組みを彫像の場所に適用していることは明白である。そうすると、どちらの場所も、右側方向に実際と異なるような拡がりを“誤読”することを想定していると捉えることも的外れではなさそうである。「ガラスの部屋」の平面図(図1-7)を見ると、ガラス・スクリーンが時計回りに配置されていることが読み取れる。二つの「行けない場所」によるこのような空間構成の反復には、この時計回りの方向性を加速させるような構造があるといえるのではないだろうか。

さらに彫像があることで、この「行けない場所」は「ガラスの部屋」全体に対して、よりいっそう積極的な働きかけをおこなっている。レームブルックの彫像は頭と胴体が別々の方向を指しているので、観る者は常に向き合っている部分とは90度異なる方向へ誘われる(図1-13)。すなわち、彫像の胴体を正面にしている時には、観る者の注意は90度横を向いた視線の先である右へ促され、逆に彫像の視線を受け止めるように立つ時には、その胴体が向いている90度左の方向に気持ちを促される。それらは彫像の非言語的メッセージによって引き起こされているのだ。
 このような彫像の非言語的メッセージは、彫像を「行けない場所」に封じ込めることで増幅されるかのようである。玄関ホールで目にする彫像は、ここに入って来た者を、今振り向いて迎えたような姿勢である。ここで彫像の非言語的メッセージを受け取った者は、その姿を正面から見ようとするが彫像の場所に立ち入ることはできない。彫像を正面から見る位置に行くためには、一旦彫像に背中を向けて遠のかなければならないのだ。そして居間を経由しながらぐるりと室内を大回りするのである。そうしてようやく辿り着いた食堂で再会する彫像の姿は、しかし、先ほど玄関ホールで出会った彫像とはその同一性を疑いかねないほどに視覚イメージが一致しない。玄関ホールからの眺めでは、薄いグレーのガラス・スクリーンの向こう側にこちらを振り向く彫像のぼんやりとした姿があった。対する食堂からの眺めは、透明ガラスの向こう側で胴体をこちらに、顔は横を向いている彫像のくっきりとした姿だ。両者のイメージは対照的である。この差異を埋めようとして、われわれは今来た道を戻って玄関ホールに向かい、再び薄グレーのガラス越しに彫像の姿を確かめるのである。けれどもそこでイメージの統合が成されることはなく、むしろそれは先送りされ、われわれは再び食堂へと誘われるのである。
 薄グレーのガラスの皮膜に覆われた曖昧な像と、透明ガラスが提供する鮮明な像。イメージの不一致はこれだけではない。ガラスが起こす反射作用が、われわれの経験をさらに困難にさせている可能性も無視できない。ホセ・ケトグラスは、「ガラスの部屋」の彫像の場所について、ガラスの引き起こす混乱を次のように表している。

たったひとつ、色濃く静止した緻密な形が、旅の中心そして終点として存在している。台座に載った女性の胸像である。だが迷える訪問者は彼女の誘惑に抗うためにマストに身体を縛り付ける必要はない。彼女は、触れることのできない、透明な囲いのなかにいるからだ。彼女はガラスの壁に囲われているのか、それとも反射したガラスに囲われているのか?訪問者は、彫像そのものを見ているのか、それとも映し出された像を見ているのか? 答はない。[*7]

もしも彫像に直接手を触れることができるなら、疑問は一瞬で解消されるであろう。この場所が「行けない場所」として訪問者を遠ざけている限り、彫像の実在を知るための最も確実な感覚手段は奪われたままであり、いつまでも経っても見ている像への疑惑は消えないのである。

彫像の非言語的メッセージ、彫像が「行けない場所」にいること、「行けない場所」が透明と非透明のガラス・スクリーンによって構成されていること、ガラスの引き起こす反射作用。このような様々な要因が関係することによって、彫像の場所は訪問者に果てしない往き来を促し続けるのである。

以上のように、二つの「行けない場所」は、「ガラスの部屋」に重層的な空間の拡がりをもたらし、訪問者の注意をひきつけ、この部屋の体験を促す動機となっていることがわかる。
 前述したように、植物の場所も彫像の場所も、外部に見立てた場所の可能性がある。しかしそれは「ガラスの部屋」が住居であるというストーリーを成立させるための「見立て」であって、「ガラスの部屋」の空間構造を知る手掛かりにはなり難い。外部という共通項だけでは、ここで起きていることの説明には至らないからである。
 植物の場所と彫像の場所を、「行けない場所」というその場の本質的な空間条件に即して照査した時に、はじめて二つの場所の共働的な関係が見えてくるのである。つまり、時計回りを加速させる働きと、それに逆回転を引き起こすような働きが、相互に作用し合うことによって、「ガラスの部屋」に訪れた者を無力な彷徨へと誘い続けるのである。

  • 1.ミースは産業工芸展示会の展示構成をリリー・ライヒに委託した。ライヒは最終的に9つの展示エリアのうち8つを設計し、そのうち「ガラスの部屋」とその隣の部屋のリノリウムの展示をミースと協同設計した。Matilda McQuaid, Lilly Reich: Designer and Architect, The Museum of Modern Art, New York, 1996, 22.
  • 2.Wolf Tegethoff, Mies van der Rohe: The Villas and Country Houses, The Museum of Modern Art, New York, 1985, 67-68. 「ガラスの部屋」の展示様態に関する主たる参照元。
  • 3.八束はじめ『ミースという神話:ユニヴァーサル・スペースの起源』、彰国社、2001、31-32。
  • 4.Philip Johnson, Mies van der Rohe, The Museum of Modern Art, New York, 3rd edition, 1978, 30.
  • 5.Tegethoff, 1985, 38-39.
  • 6.Arthur Drexler (ed.), The Mies van der Rohe Archive, Vol. 1, Garland Publishing, New York, 1986, 90.
  • 7.Josep Quetglas, Fear of Glass: Mies van der Rohe’s Pavilion in Barcelona, Birkhäuser, Basel, 2001, 69. 引用部和訳は宮下亜紀。
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建築における「行けない場所」