ロッセリーニの『無防備都市』を、僕は「開口部の映画」だというように捉えています。最初に観た時から「なんと扉のパタパタする映画なのだろう」という印象を持ちました。まずはそこをポイントにお話しします。
実際、この映画の中ではドアが何回もパタパタと運動するんですけれども、これだけ扉が動くっていう映画もあまりないのではないかと思っています。扉や窓といったいわゆる開口部が、登場人物以上にカメラの中心に位置しているような映画になっているのです。 言葉で「開口部の映画」と言ってもあまり説得力がないので、とりあえず開口部がパタパタするシーンを見てもらいましょう。
〔映像1:マンフレディの隠れ家を捜索するゲシュタポ〕
たくさん扉が出てきたということが分かりましたでしょうか? 今見ていただいたのは、映画の冒頭の場面です。先程お話したレジスタンスのリーダーであるマンフレディという男と、二人の老婆とドイツ兵が出てきます。 映像を振り返りますと、タイトルバックでサンピエトロ寺院を中心に捉えながらローマの街の全景が映し出されます。その後、2つの鐘楼を持つ教会の夜景が映り、スペイン階段の噴水の前をドイツ兵が歌いながら行進するシーンが現れます。 この辺りからテンポが速い音楽に変わり、広場にジープが停まって中から数人のドイツ兵が降りて来ます。そして黒い穴のような窓が沢山ある集合住宅へ向かって歩き出し、真ん中の大きな扉(表玄関)をノックします。すると広場に面する最上階の鎧戸が開きます。中から老婆が顔を出し広場を見下ろします(図2-1-1)。次のシーンになるとマンフレディが屋上に出て、塔屋の大きな木製扉を閉めた後、トップライトの扉を開けます(図2-1-2)。ここから下階を覗くとドイツ兵が玄関扉(住戸扉、マンフレディの下宿先)の前に立っているところ(図2-1-3)で、それを確認したマンフレディはトップライトの扉を閉じて屋上づたいに隣の建物(スペイン大使館)へ逃げ去ります。
次のシーンで老婆が玄関の扉(住戸扉)を開けると、ドイツ兵3人が入ってきて住戸内を捜索します。そのうちの一人はマンフレディの部屋の扉を開け彼の部屋に入り、引き出しを開けて中を調べます(図2-1-4)が、廊下で鳴り響く電話に反応し部屋を出て行きます。電話に出た後、屋上への扉を見つけ、それを開けて中に入ります。その後老婆二人もドイツ兵に続いて、屋上への階段を上がります(図2-1-5)。屋上で隣の建物の中庭をドイツ兵が見下ろすところで、冒頭のシーンは終わります(図2-1-6,7,8)。
5分弱ほどの時間の中で、色々な種類の扉や窓が出て来ました。 目についた開口部では、集合住宅の表玄関、老婆が顔を出す鎧戸、玄関扉(住戸扉)、屋上へ出る塔屋の扉、屋上のトップライト、マンフレディの部屋の扉、屋上へ通じる扉などが挙げられるのではないでしょうか。これらは、登場人物の動きと一緒に画面に現れるので、比較的注意が向けられ易い開口部です。 この他に、人の動きが伴わない開口部も沢山出てきました。例えば一番最初に映るローマの街の遠景の中には、数えきれない程多くの黒い窓が見えます。他には、暗がりの空に浮かぶ2つの鐘楼のアーチ型の開口部(スペイン階段上にあるトリニタ・デイ・モンティ教会)、広場に面する集合住宅の数々の窓や扉。またマンフレディの隠れ家内にも、閉じたままの扉や少し開いている扉などが画面の中に入っていました。 また、開口部が壁に穿たれた穴であるという観点を拡張してみれば、ドイツ兵が屋上から見下ろす中庭も、建物の固まりに開けられた井戸のような空地(中の詰まったボリュームに対する吹抜け空間)なので、これを開口部の一種と捉えることもできると思います[*1]。
この映画を見ていない人もいるので、とりあえず他のシーンも見てもらいましよう。
〔映像2:ピーナのアパートを訪れるマンフレディ〕
ピーナという妊婦がアパートの階段を上がっていくと、踊り場にマンフレディが立っています(図2-2-1)。ピーナは玄関扉を開けてカギを取りに中に入った後(図2-2-2)、再び現れ隣の住戸の玄関扉を開けてマンフレディを招き入れます(図2-2-3)。室内に入った途端(図2-2-4)、レジスタンスに協力している神父を呼んで欲しいと頼まれ、すぐに扉を開け踊り場に出て息子を呼びます(図2-2-5)。屋上の扉を開けて息子が現れ(図2-2-6)、神父を呼びにやらせると再び室内に戻ります。マンフレディと話していたのも束の間、ピーナの妹が勢いよく扉を開けて入ってきます。妹が退室して、ピーナがクローゼットの扉を開け閉めした後、コーヒーを入れに部屋を出ようとして扉が半開きになるところでこのシーンは終わります。
扉を開け閉めして開口部を出たり入ったりする様子が顕著に現れているシーンです。
それともうひとつ、ゲシュタポ本部の部屋の場面です。 ゲシュタポ本部というのはこの映画の中で唯一セットで作られたものです。104分の映画全体の中で、このセットのシーンが4回出て来ます。とりあえず1番目と2番目のシーンを続けて見てみましょう。扉の出入りに注意して、ゲシュタポ本部のプランを頭の中で描きながら見てください。
〔映像3:ゲシュタポ本部司令室〕
ゲシュタポ本部司令室(少佐の部屋)で、ベルグマン少佐がファシストのイタリア警察署長と会話をしていると、廊下からノックの音が聞こえ、髭の部下が入ってきます(図2-3-1)。扉を開けたまま報告を済ませると、扉を閉めて退室します。しばらくするとうめき声が聞こえてきます(図2-3-2)。隣の部屋で取調べと拷問が行われているのです。ベルグマン少佐がベルを鳴らすと、われわれ観客にはベルの音は聞こえないのですが、隣の部屋に通じる扉からずんぐりむっくり体型の部下が現れます(図2-3-3)。
〔映像4:ゲシュタポ本部サロン〕
司令室にいるベルグマン少佐に、再び廊下のノック音が聞こえます。髭の部下(図2-4-1)が、扉を開けてイタリア警察の署長を通し、扉を閉めて退室します。話の途中でベルグマンは、女の部下イングリッドを呼びに、クローゼットの横にある扉を開けます(図2-4-2)。それは2重の防音扉になっていて、その先は、ピアノの音が鳴り響くサロンでした(図2-4-3,4)。将校たちがお酒を楽しんだりカード遊びをしています。
部屋の繋がりは理解できたでしょうか?髭の部下が入って来たのが、廊下に面した扉です。ずんぐりむっくりした体型の部下が入って来た扉が隣にある拷問室で、クローゼットの真横にある扉がサロンへと通じる二重扉です。
以上、3つの異なる場所の場面を見てもらいましたが、4〜5分程の中(ゲシュタポ本部は2シーン合わせて5分弱)で、かなりの数の開口部が出てきたと思います。それぞれ、10回前後、扉は開いたり閉まったりしています。平均すると、約30秒に1回のペースで開口部を開け閉めしていることになります。これはかなりの頻度です。このような頻繁な扉の運動は紹介したシーンだけに限ったことではなく、全編を通して確認できます。これほど慌ただしく開口部が開閉する映画は珍しいと思います。『無防備都市』が開口部の映画だということは、第一には、このような開口部の多さについて言っています。
ところで、僕は実際に朝起きてから眠るまでの間、何回自分が開口部を通り抜けているのか数えてみたことがあります。すると、16時間で554回も通過していたことが分かり、大変驚きました。これは約1分43秒に1度のペースで開口部を通っているということです。この時、いかに開口部の通過が習慣となり日々無意識に行われている行為であるかを認識したのです。それは、この実験のために開口部の通過に意識的であり続けることに、ただならぬ煩わしさを感じたことからも理解できました。
さて後半では、『無防備都市』に見出すことのできる開口部どうしの関係について詳しく見ていきますが、その前に、映画における扉の出入りにはどのような撮り方があるのかということから、映画の技法に関わる話に少し触れておこうと思います。